先週のスティールパートナーズの判決に続き、村上ファンド事件の判決が出た。事案や争点はもちろん異なるのだが、共通するのは、「アクティビストファンドが派手に動いて儲るのはけしからん。市場や社会の秩序を保つためには利益至上主義を断罪しなければならない」という正義感に基づいた価値判断ではないか。法律構成やあてはめは、その価値判断から導かれた結論を正当化するものに過ぎない。仮に裁判所がこのような価値判断を持っているのだとすると、それには賛成しかねる。
スティールの事案では、以下のように語られていた:
『抗告人関係者(スティール)は、投資ファンドという組織の性格上、当然に顧客利益優先の受託責任を負い、成功報酬の動機付けに支えられ、それを最優先にして行動する法人であり、買収対象企業についても、対象企業の経営には特に関心を示したり、関与したりすることもなく、様々な策を弄して専ら短中期的に対象会社の株式を対象会社自身や第三者に転売することで売却益を獲得しようとし、最終的には対象会社の資産処分まで視野に入れてひたすら自らの利益のみを追求しようとしている存在であるといわざるを得ない。そうすると、抗告人関係者(スティール)は、前記したところの濫用的買収者であると認めるのが相当である。』
村上ファンドの事案では、以下の通り(判決文が手に入っていないので、新聞報道より抜粋):
『被告は巨額の資金を集めるファンドを支配しており、このような立場を利用して高値で売り抜けることを企て、それを確実にするためにLD(ライブドア)のインサイダー情報を利用しようとした動機には強い利欲性が認められ、強い非難に値する。
・・・被告の「ファンドなのだから、安ければ買うし、高ければ売る」という徹底した利益至上主義には、りつ然とする。』
金融業界とは関係がない、一般の人がこのような価値判断を持つのは理解できる。そして、司法もおよそ世論とは無縁でありえないという現実も理解する。
しかし、今回のような政策的な要素も絡む司法判断においては、金融業界がどのように動いているか、運用の現場での実態を踏まえた視点や、国際的な「常識」、ファンドが果たす機能や役割を十分に踏まえた上で、冷静な法律解釈に徹するべきである。
具体的な事実認定や、細かい法律解釈が正しいかどうかについて、ここで議論をするつもりはない。ただ指摘したいのは、引用した上記の部分は、業界人、あるいは英語に訳して海外の人に見せたとしたら、"what's wrong???" - え?それの何がいけないの?と疑問に持たれてしまう内容であるということだ。「ファンドなのだから、安ければ買う、高ければ売る」って、当たり前じゃない?
機関投資家は背後にいる資産委託者のために、利益を最大化することを目的とする存在である。彼らにはそれ以上の義務はないし、求めるべきではない。短中期で利益を上げるために、安いときに買って高い時に売ることは悪いことではない。資本市場ではそのような投資家が自己の利潤動機をベースに売買を繰り返すことで、「価格」というパラメーターを指標として、世の中の資源配分が適正化されていく仕組みである。
市場価格が適正化されるためには、価格の歪みをつくアービトラージャー(裁定取引者)の存在が不可欠である。この代表例として、M&Aや公開買い付けの可能性がある銘柄に投資をする、いわゆる「イベント・ドリブン戦略」と呼ばれる投資手法はずっと行われてきたものであり、資本市場では重要な役割を果たす。インサイダー取引は当然許されるものではないが、話題となる企業については当然にさまざまな情報が交換され、憶測が流れるものである。
また、アクティビズムは国際的に認められている投資手法であり、それ自体も悪ではない。市場は本来的になんらか暴力的な要素が宿るものであり、経営者と株主のあいだでは絶えず緊張感が存在する。そして怠慢な経営者に対して規律を迫ることができるのは、メーンバンクが株主としてもにらみを利かせていた時代が終わったいま、機関投資家しかいない。資産処分を迫ることも、経営者が株主からの資金を効率的に生かさずに塩漬けにしているのであれば、それはむしろ望ましいことである。
今回の一連の判決で示されたのは、裁判所がこのような金融市場の本質に関する理解を欠如していること、そしてこのような本質よりもむしろ「許されるべきではない」という価値判断をより基軸においた判断をしたことである。
「今回は特殊事件であり、投資ファンド全般にあてはまるものではない」という答弁が政・官サイドからなされても、世界の投資家はそんなことは聞いていないし信じてもいない。日本のエスタブリッシュメントは、世界のルールを分かっていない、世界中から投資対象を選べるのに、そんな国にあえて投資する理由はもはやまったくない・・・ そのような感想を持たれことは、間違いない。
ちなみに、私は「企業価値」という日本語が嫌いである。意味が極めて曖昧であるから。従業員や取引先、顧客が大切なのは分かるが、それらの利害関係を総和した一つの「企業価値」という概念は存在しえない。長期的には彼らの利害は一致しているが、短中期的にはゼロサムでありトレードオフの関係にある。また、スティールの事件で守られたのは(経営陣の保身以外)は、誰の利益なのか?買収して約100億円持っている「養命酒」や「サカタのタネ」などの株を売却して株主へ分配したところで、従業員の雇用が脅かされるわけではないし、取引先も顧客も困るわけではない。結局、企業価値というのは経営陣の怠慢と保身を許すための言い訳に使われるにとどまってしまう。
世界標準のものと誤解されている節もあるが、企業価値という言葉は、英語ではまったく使われない。それは、「株主価値=時価総額」で明確であるのに対して、「企業価値=時価総額+従業員+取引先+顧客の利益?」と、は何を表わすか不明だからである。唯一あるのは enterprise value という言葉だが、買収ファンドが投資する際に支払う対価の総和として「株価+引き継ぐ負債=企業価値」という風に使われるに過ぎない。
日本語というのは、本質的に曖昧さを持っているのだろうが、我が国は流行りのキーワードができると、その意味を真剣に考えることなく乱用する風潮がある。例えば、「IT革命」もその例だった。英語ではそんな言い方は使われなかった。もっと具体的に、「IT技術を活用した生産性の向上」「情報流通の円滑化」と機能的な説明を使った。友人に頼まれてあるお偉いさんのスピーチを英訳しているときにこの言葉が乱発されており、「英語だと訳分からないなぁ」と感じたのを記憶している。
最後に、私は決してファンド万能主義を唱えるものではない。むしろ、これまで投資ファンドが力を持ちすぎることに対しては警鐘を鳴らしてきたつもりだ。(ここやここをご参照)。しかし、それを是正する手段としては、政治ないし業界プレイヤー主導でやるべきであると考えていて、司法がこのような形で行うことについては、強い違和感を覚える。
* なお、村上裁判については、裁判を傍聴して記録をつけ続けた 保田君@ちょーちょーちょーいい感じ が、見事にポイントを指摘してくれています(村上裁判:結局は利益至上主義を罰したかっただけでは?)ので、ぜひ一読ください。
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