留学に行く前、27歳の若い平社員だった頃。いつか本を書けたらいいな、と考えていた。とはいえ、持ちネタといえば、投資ファンドの裏話くらいしかなかった。ワード文書で20ページくらい、頑張って書いてみたが、内容は薄く、全然本になりそうなものではなかった。やっぱり100年早いのかなぁ、そう思ってあきらめた。
留学が決まった2004年1月。ちょうど「ウェブログ」と呼ばれるものが話題になっていた。自分でもやってみようと思った。かつての上司とランチをして刺激的な話を聞いたので、1本目の記事として書いてみた。2004年2月。それから、続かなかった。考えてみれば、子どもの頃から日記が2日以上続いたことはなかった。次に書いたのは、渡米した7月末だった。
大学では卒論がなかったので、本当に長い文章をこれまでの人生で書いたことがなかった。メールか、仕事で書いた10ページくらいの投資案件のメモくらいか。書く能力が著しく欠如しているのが、自分ではいやだった。だから、日本にいる両親向けの近況報告のつもりで、ブログを書き始めた。
最初は、「中古車を買った」とか「牛乳で見る自分史」とか、たわいのない話ばかりだった。授業がはじまると、「これは記録しておかないと、あっという間に過ぎ去ってしまい勿体ない」と思い始めて、1日で面白かったことを書き留めるようにしはじめた。モチベーションは、私費留学で学んだことをきっちり残すことだった。読者はほとんどいなかったが、関係なかった。
毎日寝る間を惜しんで、ときには予習する間も惜しんで、1日で刺激的だったことを必死にブログに書き続けた。気がつくと、米国や欧州の留学仲間からのアクセスが増えていた。お互い、親近感を覚えたようだった。
大きなターニングポイントとなったのは、ライブドア事件の頃だろうか。MSCBといった専門的な内容を解説する記事を書いていたら、アクセスが急増した。当時はまだブログが黎明期で、今のように現場のプロがほとんど書いていなかった(たとえば、「ウォールストリート日記」もまだはじまっていなかった)。アクセスが増えると嬉しいので、頑張ってもっと書いた。頑張って書くとアクセスが増え、好循環が続いた。
ある日、日経BPからメールが来て、「書籍化に興味がありませんか?」と言われた。同時に、とある投資家の人から「逢いましょう」というメールが来た。
「限界は無限だ」と余り関係ないって?分かって頂きたかったのは、留学前は私自身も、例えば「本を書くこと」を夢見る、一人の平社員だったこと。頑張って自分にできること、すなわち目の前の勉強を必死にし、記録する意味で眠い目をこすってブログを書き続けていたら、目の前に様々なチャンスが開けた。
自分の中では「記録を残したい」という純粋な気持ちに加えて、「ハーバードMBAについて内情を語った文章って、これまでなかったから、こういう実
態をリアルタイムでレポートしていったら、結構面白く読まれるのではないか」という下心もあった。情報のアービトラージで、自分なりの付加価値が出せる、
と考えていたのである。その目論見は当たったことになる。
これをまったくの偶然とみるのか、それともある種の必然とみるのか。もちろん運の要素は大きいに違いないが、それでも私が信じているのは、チャンスはある程度、皆に等しく開かれていて、違いはそこで自ら能動的に行動するかどうかというところにある、ということである。
たとえば、このブログ記事を読んで、「まぁよく言うよなぁ」と斜に構えるのではなく、自分のケースにあてはめるとそれがどういったことにあたるのか、よく考えた上で自分なりに何か新しいことをはじめてみる人が、はたしてどれだけいるのだろう?自分が置かれている現状にとっても満足されている人以外は、「斜に構える」というスタンスは、非生産的で自分が成長しないので、辞めた方がいいですよ。何でもいいから、ひとつでも何かを学び取って帰ろうというハングリー精神の方がむしろ大切。
ある著名なビジネス書の作家が言っておられたが、「本を買ったけどちゃんと読む人は2割、その中に書かれていることを実践する人はその2割。全体の4%以下」とのこと。あたなはその4%になるのか、96%になるのか?
以上、「超凡思考」1-5、「限界は無限だ」の補足です。
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