先日、経済教室に掲載されていた植村論文の元となった書籍「経営なき破綻-平成生保危機の真実」(植村信保著、日本経済新聞社)が発売されたので、早速購入。
1990年代後半からバタバタと中堅生保が破たんした要因は逆ざやというマクロの要因(だけ)ではなく、内部の経営にこそ要因があることを、当事者へのインタビューを通じて整理した内容。外部からは分かりにくかった当時の生命保険会社の内部でどのような議論と意思決定が行われてきたのかが生々しく語られており、興味深い。
ゆっくり読んでいたら、冒頭でいきなり当社の出口が登場してびっくり:
日本生命(九〇年当時)の出口治明氏は、「筆者は昭和四十七年に日本生命に入社したが、当時先輩諸氏に教えて頂いたのは、『予定利率は、市場金利の半分が目途』という話であった」と書いている。(p.33)
昭和五十年答申では「消費者の多くは高料高配よりも低料低配の保険商品を望んでいる」として契約者配当よりも保険料の低廉化を求めたが、実際には予定利率引き上げによる低料化が進んだうえ、高水準の配当も維持されるという、いわば「低料高配」になってしまった。前述の出口[1990]によると、七十年代前半から八十年代の生保の資金コスト(予定利率+利差益配当+長期継続特別配当)は一〇%程度で高止まりしており、「国際的に見ても、市場金利との関係で見た、わが国生保の資金コストのレベルの高さは、異常の一語に尽きる」「このような低料高配を続けていて健全な生保経営が行われるはずはない」と九〇年の時点で言い切っている。(p.38)
「異常の一語に尽きる」って、皆がやっていたことに対して、1990年当時にここまでパブリックに言い切ってしまうあたり、すごい。しかし、主張していることは至極当たり前のことで、実際、この高金利の設定により「健全な生保経営」は行われなかったわけだ。当り前のことだけど、皆が言いたがらないことをはっきり言う性格も、今とまったく変わらないなぁ、とも思った。
しかし、これはどこの論文に掲載されたのだろう、と注釈を見てみると:
出口治明[1990] 「運用差益配当の考え方について」『アクチュアリージャーナル』1990年11月号、日本アクチュアリー会
え、予定利率を事実上決めていたアクチュアリー会のアクチュアリージャーナルでこんなこと書いていいの?!「よく掲載してくれましたね」と聞くと、「堂々と投稿したら、掲載拒否する理由もないし、載せてもらった。ただ、翌月号では覆面座談会で『予定利率を超えた運用をするのが運用部門の責任であるのに、あれはけしからん』と猛烈に批判されたけど」とのこと。
正しいことは、外部の批判も恐れずに言い切る姿勢、大切ですね!私は結構色々な人の目を気にしまうたちなので、今後はもう少し力強く立ち、正しいことははっきり主張していこうと思います。
よい週末をお過ごしください!明日は当社にて恒例の生命保険相談会をやりますので、お時間のある方はぜひお越しください(詳細はこちら)。
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