今朝の日経新聞「経済教室」の記事は、すべての人が読むべきだと思う。「社会保障国民会議~中間報告の焦点」というタイトルで、吉川洋・東大教授が社会保障制度改革の論点を複眼的な視点で、明快にまとめている。
本論文では、少子高齢化によって年金と医療・介護といった社会保障の給付が増大するなか、持続可能な制度づくりをいかにして財政再建と同時に達成していくか、という点が主要な論点となっている。
主な主張は、以下の通り:
1. 年金はいろいろと問題が指摘されているが、一生のキャッシュフローを得られるポートフォリオを作り出すのは個人では難しいため、公的年金は重要である。そして、2004年度改正で財政状態によっては給付水準を調整することとし、持続性が高まった。
2. これに対して、医療・介護のコストは年金以上のペースで増えていくが、公的な皆保険によって84%がカバーされているなか、どうやって増大していく医療費を負担していくかは答えがない大きな課題である。
3. 結局、増大するコストを誰かが負担するか、という問題に帰着する。基本的な考え方としては、経済的に恵まれた人が多く負担し、弱い人の負担を少なくすることになる。
もっとも、これは、世代間の負担の分配の問題という単純な問題ではない。高齢者でも豊かな人はいるし、現役世代でも経済的には弱い立場にある人もいる。他方で、現役世代の方が将来の果実を受けることができる、ということもある。
また、負担コストには上限があることを考えると、どこまでを公的サービスとして提供するか、という給付側のコントロールも考えていかなければならない。
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増税の議論があるたびに思うのだが、うち手は三つしかないはず:
① 制度自体の運営をできる限り効率化する(そもそも無駄があってはいけない)
② コストを負担するために収入を増やすか(含む増税など)、将来の世代に付け回すか
③ ②と同時に、給付を減らすか、バランスを変えること
まずは既存の制度から徹底して無駄をなくす。次に、同世代間の中ではゼロサムであるから、コストを増やすか、給付を減らすしかない。あとは、持続可能な範囲で、将来との資金の貸し借りをする。コストの配分については、経済的に恵まれた人と、弱い人が納得いくバランスを見いだす。
抽象論で言うのは簡単であり、具体論ではさまざまな政治的な力学があって難しいのだろうが、少なくとも今朝の論文を読んで、頭の中はすっきり整理されました。
自分の業界の話なのでコメント。
①については散々議論されていますが、なかなか難しいです。
レセプトをオンライン化するとか診療情報の共有による重複検査を防ぐ、というのはやったほうがいいのですが、霞ヶ関埋蔵金と同じで、絞れるコストは必要とされるコスト増大に比べてあまりにも小さいといえます。
③のバランスを変えるは公的保障の範囲を制限する、ということとお見受けします。
実は昔は僕もそれがいいかと考えていたのですが、公的保障の範囲を制限している国(代表はアメリカ)のほうが、医療費の対GDP比率が高くなるパラドックスが生じます。
また民間保険による医療カバーについてはいわゆる「イチゴ摘み」の問題が生じやすく、市場の失敗が起こりやすいといえます。
(例えば、大腸癌の親戚がいる人はリスクが高いので、保険料を高く設定する誘因が民間保険会社にはたらく)
アメリカの医療の問題点については確か岩瀬の前のブログでも触れていたような・・・?
給付で絞れるのは本当のところ終末期医療の延命措置です。例えば高福祉の北欧諸国は経口摂取できなくなったお年寄りは・・・。
しかし終末期医療の給付制限は総論は賛成しても自分の親の話だとみな割り切れないんですよね。
投稿情報: たに かず | 2008年6 月29日 (日) 19:54