(問題 1)
『自分の1年間の目標を、学級でスピーチすることになりました。聞き手に分かりやすい話し方として、ふさわしいものを次の1から5までの中から二つ選んで、その番号を書きましょう。
- 聞き手が話の内容に集中できるように、間をおかずに続けて話す。
- 話が伝わっているかどうか、聞き手の表情を確かめながら話す。
- 聞き手に内容がよく伝わるように、最初から最後まで同じ調子で話す。
- 聞き手によく聞こえるように、場に応じた声の大きさではっきり話す。
- 聞き手にたくさんのことを伝えたいので、できる限り早口で話す。』
(問題 2)
『高木さんの学級では、自分がなりたい職業についてそれぞれ調べました。次に示すのは、高木さんがケーキ屋さんにインタビューをしたときのメモの一部です(省略)。高木さんは分かりやすいメモにするためのくふうをしました。どのようなくふうをしているかを説明したものとして、ふさわしいものを次の1から5までの中から二つ選んで、その番号を書きましょう。
- 自分がケーキ屋になりたい思いを中心に書いている。
- 下調べしたことと聞いたことを合わせて書いている。
- 話してくれた要点をできるだけ短く書いている。
- 話してくれたことに対する意見や感想を書いている。
- 内容が分かるように見出しをつけて書いている。』
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今朝の新聞に出ていた、全国学力テストの問題を見て、唖然とした。小学生を相手に、このようなハウツー・ノウハウを、このような形で問うことに、どのような意味があるのだろうか?
もちろん、問題作成者の意図としては、生徒に対して『分かりやすい書き方のコツ』を習得してもらいたかったのだろう。それ自体は、『伝えるチカラ』を向上させるために重要なものであるから、正当性はあるとも考えられるし、このような内容を教育の現場でOJT的に指導するのは大変意義がある。
しかし、それをこのような質問形式で、全国学力テストで正解・不正解を問うことに、どういう意味があるのだろう?
例えば、『ゴルフの上手なスイングの仕方』として、『ボールから目を離さないこと』『下半身を固定すること』『肩を揺らさないこと』などのコツがあったとして、それはそれで大切なのだろうが(コーチはこれを徹底して教えてくれるだろう)、これをマルバツ形式で問うたところで、実際にゴルフのスイングが上手になるわけでもない。
また、ノウハウ教育自体を一概に否定するつもりはないが(僕自身も野口悠紀雄 先生の「超文書法」はバイブル)、そもそもこのような表現方法について、子どもの頃にインプラントされるべき絶対的な正解・不正解はあるのだろうか?人への伝え方はそれぞれであり、多様なコミュニケーションのあり方を受容しよう、という教育も成り立ちうる。
また、設問にある事例はややビジネスライクな状況を想定していて、『一人一人のスピーチの時間がたっぷりあり、かつお互いのことはある程度興味を持っている聴衆』や『要領よく取材結果のファクツを知るメモ書き』という条件付のセッティングでは望ましい話し方・書き方かも知れないのだが、小学生にどこまで、そのような『場合分け』の判断能力がついているのだろうか?
自分に子どもができてからは教育について色々と考えるようになった。中学校まで地元の公立学校に通って、なんら不満はなかったので、公教育に対する心配はなかった。しかし、朝の通勤電車の中で「ん???」と強い違和感を覚えたので、書いてみたくなってしまった。もちろん、これが全体の公教育の本当に表層的で一部に過ぎないので、これで何かを判断してはいけないのでしょうが。
たびたび恐縮です。
結局のところ、言葉には言葉そのものの意味の他にいつ・どこで・どのように発せられたかによって生じる、メタレベルの意味があり、たとえば入試問題が文字通りに受験生の知見をはかるための問いである他に「どのような生徒にうちに入学して欲しいか」を知らせるメッセージとして機能しているがごとし、ですが、この出題者の文章を読むと、そうしたメタレベルのメッセージ性や政治性について、極めて貧しい感受性しか持ち合わせていないことがよくうかがわれるのですね。国語の教師としては致命的といっていい。そうしたメタレベルのメッセージを鋭敏に汲み取る能力がなければ、読めない文章がたくさんあり、ことばの政治性を支えているのはしばしばむしろメタレベルの機能だからであります。
貴殿はそうした出題者の鈍さを鋭敏に読みとって、疑念を表明されたのだろうと思いました。
投稿情報: bun | 2007年4 月27日 (金) 09:46
本当につまらないですね。最初の一文以下を読みすすめる気に全くならない。
しかしこういう問題を作って達成感を感じてしまう人にこれがいかに馬鹿馬鹿しいかを教えるのも、これまた並大抵のことではないのですよ。言葉の選び方や問題用紙のレイアウトなどをきめ細かにやれば、どんなにつまらない問題を作ったとしてもそれで仕事をしたと思っている人がいるのです。「問題の内容について、全く筋が違う」ということがわからないんですね。バカの壁じゃありませんけど。
笑いごとでなく、こういう問題に触れてイライラさせられる子供のストレスも考慮して、できるだけつまらない質問はしないであげてもらいたいものです。軽視できないと思います。
若干のフォローをすれば、確かにまあ何からでも学ぶことはあるというのは否定しませんが、この問題から学べる最も大切なことは、「世間にはアホなこと聞く大人もいる」ということでしょう(笑)?そんなこと、わざわざ学校で教えなくても、社会に出れば辟易するほどそんな経験ばかりなので、すぐにわかることですよね(笑)。
投稿情報: bun | 2007年4 月26日 (木) 08:52
岩瀬さんの仰る通りだと思います。
「7つの習慣」を教えてる某コンサルや某進学塾と同じ発想なのでしょう。
「ハウツー」はそれ自体は何の意味もないのに、それがあたかも崇高な理念の様に教え込むというのは。
あの本も、作者は「ハーバードMBA」の肩書きで売り出していましたが、「モルモン」等のブラックキーワードは巧みに隠していましたね。
「ハウツー」にすぐ飛びつく理由には、日本人に特定宗教に対する免疫が無い事もあると思います。
投稿情報: yoshitaka | 2007年4 月25日 (水) 21:13
こんにちは。
確かに(問題 1)のほうはハウ・ツー的な問題であるような気がしますが、(問題 2)は(紙面を見ていないので間違っているかもしれませんが)ハウ・ツーそれ自体ではなく問題文(あるいは表)に記載されている工夫を『読み取るチカラ(読解力)』を問うている問題に見えますが、いかがでしょうか。
自分もどちらかといえば受験の申し子的な学習法をとってきましたのでやや違和感があるのは確かですが、公的な「全国学力テスト」なので、国際的あるいは経年で比較できるような問題構成になっているのかもしれませんね。
投稿情報: 風街 | 2007年4 月25日 (水) 20:22