友人の依頼で、ビジネスマン向けのメルマガに書評を書きました(本の宣伝を最後にさせてもらう代わりに)。かなり長いのですが、転載します:
メルマガ「クリエイジ」第127号 2006年12月18日
目次
1.ビジネス書「マーケティング」書評
2.人生で感銘を受けた本
[編集後記]
1.ビジネス書「マーケティング」書評 岩瀬大輔
○「すべては消費者のために。-P&Gで学んだこと」和田浩子著
トランスワールドジャパン社 2006年7月
http://www.creage.ne.jp/app/BookDetail?isbn=4925112775
最高のビジネス教育は、理論やフレームワークを整然と並べた教科書を読むことではなく、生身の当事者が複雑に入り組んだ現実に直面し、悩みながら困難を乗り越えていった体験を共有することによってこそ得られる。ケーススタディを教授法とするハーバードビジネススクールでの2年間の留学生活を通じて、私はこのことを学んだ。
生理用ナプキンのウィスパー、シャンプーのリジョイ、紙おむつのパンパース、消臭剤のファブリース。本書は、このような我々にとっても馴染みがある消費財商品を題材としたマーケティングのケーススタディ本である。P&Gのブランドマネージャーとして各商品の損益責任を負った著者が、試行錯誤を通じて戦略を練り、それを成功裏に実行していく様子が詳しく描かれている。教科書の類でよく目にするマーケティングの基本原理を、プロのマーケッターがどのようにして現場で実践し、大きな成功を収めたか、臨場感を持って学ぶことができることが、本書の魅力だ。
私はこの夏に留学先のアメリカから帰国し、現在はインターネットを主要な取引チャネルとする新しい生命保険会社の立ち上げに取り組んでいる。この新規事業の成功の鍵を握るのが、いうまでもなく新契約者獲得のためのマーケティングである。参考になりそうな文献を求めて訪れた書店で、当初はウェブマーケティング関連の書籍をいくつか手に取ってみたが、いずれも技術的な手法の解説に止まっており、消費者ニーズや提供価値、商品ブランドのポジショニングといったマーケティングの基本に沿って書かれているものは少なかった。そこでネットビジネスといえども、従来型のリアルなマーケティングと本質においては何ら変わらないことに気がつき、場所を変えて再度本を探し始めた。探していたのは、一見すると「ネット金融サービス」からは程遠い、「コテコテの消費財マーケティング」の本であり、そのとき目に止まったのが本書である。P&Gの元幹部による本だと知って即座に手に取り、ページをめくるごとに惹き込まれていった。
広義のマーケティングとは、宣伝広告などのプロモーション活動に止まらず、商品開発から生産、営業、そして納入後のアフターサービスまでの管理を含む、継続的にトップライン(売上)をあげていくためのすべての活動であり、企業にとっては中核に据えるべき機能である。P&Gではこのようなマーケティングの戦略的な位置づけを重視し、同社のブランドマネージャーは部門横断的にスタッフを取りまとめる権限と担当商品の最終損益責任を与えられた、極めて強力な存在となっている。
商品の「ポジショニング」の大切さは、マーケティングの基本原理としてよく語られるが、著者は冒頭に述べた各商品について、競合製品とどこが違うか、顧客にどのような価値を提供するのかという問いを、明快に言い表せるようになるまで、禅問答のように問い続ける。消費者調査の結果を踏まえて、場合によっては製品の機能変更を促し、ブランドポジショニングを変えていく。その結果生まれた新しい商品が、消費者の充足されていなかったニーズにぴったりとはまり、その新しい価値を表現するキャッチーなコピーを生み出されたときに、大ヒット商品が誕生する様子を我々は眼にする。
例えば、ウィスパーの例。従来は「モレない」を軸に競争してきた生理用ナプキン市場において、初めて「ドライ感」という新しい価値軸を持ち込み、これを「洗いたての肌着のような感覚」という名キャッチコピーによって表現した(ちなみに、このコピーは広告代理店の男性が娘に商品を体験してもらい、その感想をやり取りしたことから生まれたらしい)。この時点で、ウィスパーのその後の成功は半分以上決まっていたと言えるだろう。また、パンパースの例でも、「モレない」という従来の競争軸から、「赤ちゃんの健やかな成長」に繋がる「スキンケア」という新しい軸に勝負を移し、大成功を収めた。彼女が編み出したこれらの新しいブランドポジショニングは、後に日本発でP&Gグローバルでも適用されるようになる。
このような「ポジショニング」の議論について、著者は成功のためには従来の競争の土俵から脱し、新しい価値を提供して「ゲームのルールを変えること」が大切であると述べている。これは最近話題になった「ブルー・オーシャン戦略」や、ハーバードビジネススクールのクリステンセン教授による「イノベーションへの解」で語られていることと同じである。複数の良質な書籍のなかで同じ内容が述べられていることから、「ビジネスを成功に導くための本質は極めてシンプルなものであり、かつそれは普遍性を持つのだ」、本書はそんなことを思い知らせてくれた一冊でもある。
ドラッカーはマーケティングの目的について、「商品又はサービスが顧客のニーズにぴったり合い、何もせずに自ずと売れるようになるほどまでに深く顧客を知り、理解することである」と述べている。本書においても、著者は繰り返し消費者のグループインタビューやサンプルテストを行うことで、潜在的な消費者のニーズを掘り起こし、新しい価値を創造することに成功したと記している。地道な基本作業を徹底し、繰り返し行うことこそが王道であることを、見事に示してくれている。
私がこれから取り組んでいく生命保険という無形の金融商品サービスと、本書で取り上げられている消費財とは、異なる点が多い。しかし、これまでは消費者の顔を見ずに複雑に作られ、ノルマの重圧に悩む営業員に押し売りされてきた生命保険商品を、消費者の声に敏感に耳を傾けながら、「普通の」消費財として設計し、売ることができたときにこそ、私の事業は成功するに違いない。本書を読んで、そのように勇気づけられた。
2.人生で感銘を受けた本 岩瀬大輔
○「ルービン回顧録」ロバート E.ルービン著 ジェイコブ・ワイズバーグ著
古賀林 幸訳 日本経済新聞社 2005年7月
http://www.creage.ne.jp/app/BookDetail?isbn=4532165156
近年、米政界におけるゴールドマン・サックス出身者の活躍が目立つ。2006年6月、前会長のヘンリー・ポールソンが第74代合衆国財務長官に就任した。彼のゴールドマンにおける前任者のジョン・コーザインは、上院議員を経て今年1月にニュー・ジャージー州知事に当選している。さらに、コーザインの前任者であるスティーブン・フリードマンは、2002年から2005年まで、大統領補佐官(経済政策担当)を務めた。
コーザインははじめて上院選への出馬を表明したとき、「政治は素人でないか」と聞かれ、「What are you talking about? I worked for Goldman Sachs (ポリティックスは嫌というほどやってきたぜ)」といった趣旨のことを答えたとされている。彼が冗談めいて挙げた「社内の権力闘争で磨かれた政治力」に加え、金融・経済に関する知見、国内外における強力な人脈、豊富な資金力を有することが、彼らが政治の世界でも即戦力となりうる理由なのだろう。
著者であるロバート・ルービンはゴールドマン・サックスのトレーディング部門責任者から共同会長を経てワシントン入りし、NEC(国家経済会議)議長、そして財務長官としてクリントン政権下の経済繁栄を支え、数々の国際金融危機の波を巧みに舵取りしたことで、名財務長官の一人として名を残した。本書はルービン自身がその半生を振り返った自叙伝であるが、紙面の大半は26年過ごしたウォール街時代の体験よりも、ワシントンにおける6年半の出来事の回顧に割かれている。
本書は1990年代後半に起こったメキシコやアジア、ロシアなどの金融危機について、米国の政策担当者がどのように状況を認識・分析し、どのようなロジックで金融支援パッケージを組み実行するに至ったか、国際金融の舞台裏を知る上では格好の書物である。
救済が惹き起こす投資家のモラルハザード(債務不履行前のロシアについては、市場関係者の間では"too nuclear to fail"と言われていたとのこと)、あるいは債務が弁済されない場合における政権の政治生命のリスクといったマイナス面と、金融支援を実行することによって守られる国際金融秩序と米国経済にとっての便益といったプラス面。双方を厳密に分析・検討した上で、大型の金融支援に踏み切るまでの一連の過程が、米国議会のキーマンや各国の政策担当者となされた対話や駆け引きを含めて、詳しく再現されている。
このような優良な経済書としての側面に加えて、私が本書に大きな感銘を受けたのは、一人のプロフェッショナルとしてのルービンの世界観と独自の意思決定の手法である。原著のタイトル"In an Uncertain World"が示すように、本書を通じて語られるルービンの世界観とは、この世に100%確かなことはなく、我々は絶えず不確実性と対峙している、というものである。そして、このような不確実性を前提とすると、いかにして意思決定プロセスに規律をもたらし、それを最良化するかが大切になる。
ルービンはどこに行っても、ロースクール以来愛用している「リーガルパッド」なる黄色いメモ用紙を持ち歩いている。意思決定をする前に常に複数の当事者の話を注意深く聞き、当該論点についてのメリット・デメリットや異なる立場からの理由づけを網羅的に理解すべく、メモを取り続ける。必要であれば好んで devil's advocate たる役割を演じ、あえて自分と異なる立場からの反論を試みることによって、事象の本質に迫らんとする。必要に応じて賛成意見の側にも反対意見の側にも立つというのは、ロースクールで学び、数年間コーポレートロイヤーとして活動した法律家としての訓練の賜物だろう。
このように相違する立場に立って議論をする習性に加えて、ルービンはゴールドマンの裁定取引部門でトレーダーとしての修練を積んだことによって、意思決定を常に risk/reward で考える、確率論的あるいは期待値ベースともいうべきアプローチで行うようになった。本書の中でも例としてあげているが、仮にマイナスの場合の結果が-6、プラスの場合が+3であったとしても、それぞれが発生する確率が2対8であれば、期待値ベースでは-1.2と+2.4であり、合理的な意思決定としては「Go」ということになる。このような思考プロセスを、あらゆる意思決定において徹底して実行することによって、個別の結果はともかく、総和としての集積した意思決定がより好ましい結果を導く、と考えるのである。
この習性が、彼を世界経済に大きな影響力を持つ米国財務長官のポストにおいて、卓越したリスクマネージャーならしめたと考える。ルービン自身も述べているが、意思決定の結果が吉と出るか否かは、ほとんどの場合予測不可能だ。とすれば、合理的な意思決定者としてはコントロール不能な個別の結果にこだわるのではなく、自ら律することができる意思決定のプロセス自体を、厳格に管理すべきなのだろう。そして、このようにシンプルでありながら強力な指針を自ら明確に持ち、それを一貫して実行していることが、ルービンの本質的な「凄さ」であると感じた。
グローバル化したマネーの流れが膨張した今日において、政府の大きな役割の一つはリスクマネージャーとしてのそれであると考えるべきである。新たに財務長官に就任したポールソンも、在任中にゴールドマン・サックスの自己勘定投資ポジションとそれに伴うリスクを積極的に拡大したことによって、同社の現在の繁栄を築いたとされ、"Mr. Risk"とも呼ばれたことがある。この人事は、米国がこのような金融のリスク管理を重要視していることの現れであろう。翻ってわが国を見るに、このように長年市場と向かい合い、その息遣いまでも敏感に感じ取り、リスクを管理できる人間が中央政府にどれだけいるだろうか?かようなリスク感覚の欠如が、わが国の国際金融分野における更なる影響力低下に繋がらなければよいのだが・・・。
ルービンにとって、彼の世界観とdecision makingの手法は、単なるmethodologyではなく、人生のprincipleと呼ぶに相応しい粋までに高められている。それは自身の意思決定を導く「ブレない軸」であり、幾多もの困難な局面を乗り切る指針となっている。私たちは、このように状況如何を問わず、自分にとって正しい意思決定を導くための拠りどころとなるprincipleを持っているだろうか?それを持たずに場当たり的な意思決定をしているならば、どこかで壁に当たってしまわないか?個人として信念を持つことの大切さと、自分がそのようなものを果たして持っているのか、本書を通じて改めて考えさせられた。
-----------------------------------------------------------
岩瀬大輔(いわせ だいすけ)略歴
1997年司法試験合格、翌年東京大学法学部を卒業。ボストンコンサルティンググループ、インターネットキャピタルグループ、リップルウッドを経て、2004年よりハーバードビジネススクールに留学。2006年、同校を上位5%の成績最優等者として卒業(MBA with High Distinction, Baker Scholar)。帰国後は、ネットライフ企画株式会社取締役副社長として、新しい生命保険会社の設立準備に従事。著書に、「ハーバードMBA留学記」(日経BP社 2006年11月)。日経ビジネスオンラインにコラム「投資ファンドは眠らない」(http://business.nikkeibp.co.jp/article/money/20061010/111397/)を連載中。
-----------------------------------------------------------
ご案内
「ハーバードMBA留学記」岩瀬大輔著 日経BP社 2006年11月
http://www.creage.ne.jp/app/BookDetail?isbn=4822245527
本書は、私がハーバードビジネススクールに留学した2年間を通じて感じたことを書き綴ったエッセイ集です。MBAの授業内容紹介に止まらず、東海岸のエスタブリッシュメントの一角にいたことから見ることができた米国社会や、そこから見た日本社会のあり方について書いております。内容は、リーダーシップと倫理教育、アントレプレナーシップ、グローバリゼーション、ソーシャルアントレプレナーシップ、ファンド資本主義、キャリア論など多岐に渡っており、MBAに感心がない方にとっても興味深くお読み頂ける内容になっているのではないかと考えています。私は今年で30歳になりましたが、日本の若者がアメリカに渡り、発見したアメリカ、再発見した日本の記録として、多くの方々に手にとって頂ければ幸いです。
-----------------------------------------------------------
[編集後記]
岩瀬大輔氏には知人の紹介でメルマガ執筆を快諾していただいた。30歳とメルマガ最年少記録を更新した。若手起業家のエネルギーを感じる。アメリカのダイナミズムを肌で感じた若者の日本での活躍が、日本再生に繋がることを期待したい。
-----------------------------------------------------------
そう。意思決定ってprincipleがないとできないのではなかろうか。いくら手法を学校で習っても自分の哲学に合うように活かせないと、その前に哲学を持っていないと実行できないのだと思う。
僕の哲学は・・・
投稿情報: 六本木あらいのHG | 2006年12 月19日 (火) 01:04