記事のタイトル、英語表記だと限界があるので日本語に変更。
高校の同級生が31歳にしてようやく司法試験に合格し、日曜の夜は彼と祝杯をあげた。先週ニュースで出ていたが、ロースクール卒業生が受験する新司法試験制度が今年始まり、合格率は50%近くになっていたそう。僕が合格した1997年当時は、合格率は3%前後だったので、あるべき方向に進んでいると感心。
親しい友人でも数名、30歳を超えてようやく合格して弁護士になった人たちがいる。では、彼らが弁護士として若くして合格した人と比べて劣っているかというと決してそういうことはなく、もちろん渉外事務所のように英語を使ってバリバリ、毎晩朝まで働くような業務には向いていないかも知れないが、個人として困ったときに頼みたいのはむしろその友人たちのように、人間味がある人たちだったりする。
合格してから知り合ったこういった「ベテラン受験生」と呼ばれる人たちは、さすがに何年もやっているだけあって、知識は驚くほどある。したがって、不合格ののち、一年多く勉強したからといって、何か大きく実力が変わるわけではない。ただ、どこかで「コツ」をつかめていないため失敗し、毎年毎年、挑戦していくわけであり、あるとき、何かのきっかけで合格することになる。そうすると、彼らが受験勉強を続けていた20代の7~8年は、一体なんだったのだろう。社会経済的に見て、労働力の大きな損失としか言いようがない。
法律家の業務の公共性にかんがみれば、何らかのスクリーニングが必要であるのは疑いないが、合格率3%の試験でそれを行なうというのは、中世のギルド的な既得権益保護であり、消費者自身に判断能力がついていない途上国型の規制のあり方である。
それでは、成熟した社会のもとで望ましい規制のあり方は、どうあるべきか?この点については、ロンドンのタクシー運転手の試験が参考になる。合格するには、ロンドン市内のあらゆる道を覚えていなければならず、試験は過酷なものだ。テレビで見たことあるのだが、質問者はA地点からB地点まで目的を言うと、運転手は目を閉じて、「X通りを右折、三本目のY通りを左折、信号を6つ行ってZ通りを斜め右に入る・・・」などと答える。それを繰り返す。そこでは、規制者側は徹底して、業務遂行に必要な知識と資質、そして情熱を問うており、試験はあくまで絶対評価である。そこから先は、マーケットの淘汰にゆだねられるわけだ。
そう考えると、多くの場合、規制者側はそもそも問題設定や前提が間違っている場合が多いということに気がつく。入り口のところでは結局は情熱人柄、資質を評価する仕組みを作り上げる。そのあとは、原則として、彼ら自身の創造性と、消費者の判断に任せられるべきである。法曹界はようやくそれに向けた一歩を踏み出したが、わが国ではこれにはまだ遠い分野が数多くあるような気がする。
ずっと読んでましたが初コメントです。
新司法試験の結果についはかなり複雑な心境です。今年は50%でしたが、これは3年制の人たちがまだ卒業していないからで、来年以降は、2年制の人たちに加えて3年制の人たちが同時に卒業すること、それから今年落ちた50%の人たちが受け直すことから、合格率は2割位になるといわれています。どの学部からでも社会人からでも挑戦できた旧司法試験とは違って、新司法試験はロースクールに3年通った上、受験機会は5年間に3回までと決まっています。そう考えると2割というのは決して多くなく、ロースクール3年+5年の計8年とロースクール代・予備校代を無駄にして結局受からない人がたくさん出てくることになります。また、今回の結果が出るまでは各大学は本当の法曹教育を、とか言っていたのが、誰も受からないロースクールが出てきたり、東大でも7割しか受からないなどの現実に直面して、今後はロースクールが予備校化するか予備校が再び流行って、制度改革理念からも離れていくような気がしています。旧司法試験のときのように、社会人で会社を辞めて1年間本気で勉強して受かる、というようなことはもうできないわけで、考えようによっては却って門戸が狭くなったかもしれません。ということで、上に指摘されているような市場と競争原理にゆだねるべきという意見は私も大賛成ですが、それを実現するにはもっと合格者を一挙に増やさないといけないということになり、しかしそうすると今度は修習制度の維持が不可能になってしまうのでDead endと、法曹界もまだまだ根本から考え直していかないといけないところがあるなあと思っています。
投稿情報: ryk | 2006年9 月27日 (水) 09:40
最近ブログをこのブログを発見したのですが、それ以来、いつも楽しみに拝読させて頂いています。
ご存知のとおり、日本の法曹養成には裁判所での研修が必須とされており、裁判所のキャパシティに鑑みて、合格者のリミットを設けているように思われます。
確かに、裁判所等の研修は、弁護士業務にも非常に役に立ちます。弁護士をしていても、よく感じます(渉外においても、です。)。
ただ、この司法研修制度が弁護士数のリミットを決める大きなファクターであり続ける限り、弁護士数が劇的に増えることは制度上、難しい気がします。
現状のロースクールの質云々の問題はさておき、(PFIのように??)司法研修所の教育のレベルを民間で代替できる社会的基盤が整ったとき、弁護士の数が社会的ニーズに合致した形で決められるのでは?と個人的には思っています。
そうすると、民間で司法研修所に代わるだけの教育システムを構築する、これはどうなのでしょう?日本の学校等に相応の市場原理が働けば可能かも、そんな風に考えが進むかもしれません。
アメリカは学校間の競争も激しいと聞きますが。
以上長々とコメントしてしましました。
これからも拝読させていただきます♪
投稿情報: やまねこ | 2006年9 月26日 (火) 21:08