「最近、あなたのブログを読んでいても、かつてのようなパッションが感じられない」。書き始めた頃から読んでくれている方から、このように指摘された。確かに、留学中のボクは、どうしたら世界をもっとよくできるかとか、リーダーの資質は何かとか、日本に足りないものは何かとか、はたまた恋愛とは何かといった、壮大なテーマに無謀にも全力で立ち向かっていた。なのに帰国後というものは、車を買ったとか、今日のおやつが美味しかったとか、歌舞伎で屋号を叫びたいとか、そんな内容ばかり。帰国してわずか2ヶ月でもう失ってしまったのか、あの高い志を!
そこで、今回は、ボクがかつてのように熱くなれるあのことについて、どこか気恥ずかしい気持ちを覆い隠しながら、綴ってみたい。皆さんも、心して読んで欲しい。
はじめて知ったのは、ロンドンに在住していた小学生時代に読んでいた雑誌のなかで。皆さんも知っているある有名人が、まるで恋人かのように大事にしており、大きな戦いが終わるたびに、必ず拠り所として帰っていくのだった。遠く英国の地にいたボクにとってそれからは、夢に見ることはできても、直接対面することは適わず、何年ものあいだ、ただ夢想の中でのみ向かい合える存在になっていたのだった。
ようやく初めての対面が適ったのは、確か目白に住んでいた高校時代。直接のきっかけは、友人の紹介だったと記憶している。夢にまで見た対面。高校生のボクに対しても接しやすい優しさを持っていながら、それでいて気品と上品さを保っていた。決してお高く振舞うことはなく、高校生のボクでも十分に手が届く、そんな気持ちにさせてくれた。どこか赤ワインの香りがしながら、下町の庶民らしさも持っていた。時間には正確で、一度も5分以上待たせられたことはない。以来、とりこになっていった。
一緒にいると、男として挑戦し続けなければならない気持ちを奮い立たせられた。会ったあとは、たくさんの元気をもらうことができた。同時に、家に帰ってほっとさせられるような、深い母性に身を委ねることもできた。我侭も、たくさん聞いてくれた。いつからか、毎日のように会うようになっていた。
記憶に残っている場面はいくつもあるのだが、ある日、友人とマイケルブレッカーを聞きにブルーノートに行ったときのことが忘れられない。あのときは、翌日に日本を離れるって、急に発表したんだよね。スケジュールが合わないけど、表参道に行けばきっと短い時間なら会える、そう思ってきちんと連絡を取らずに、開場の1時間前に駅を降り立った。それが無謀だった。いつの間にか、自分にとっては空気のような存在だと思っていたのだが、いざ会えなくなると知って、初めて大切さに気がついた。想像するだけで、胸が詰るような気持ちだった。時間が迫るに連れ、僕は走りに走った。結局会えたのは、原宿駅の付近。開場が15分前に迫っていたが、一目でいいので会いたかったんだ。そのときは、抱きしめるようにして、いっきにかきこんだ。
いつからか、日本では姿を見かけなくなった。一度だけ、ニューヨークのミッドタウンで少しだけ会うことはできたけど、アメリカナイズされた姿にボクは魅力を感じることはできなかった。早く東京に帰ろう、そう促すことしかできなかった。
こんなこともあった。あれは、朝日新聞ホールにエンリコを聴きに行ったとき。ボクの中でキミとの記憶は、いつもジャズの音色とともに、奏でられている。築地に行けば会えるかもしれない、そんなことを友人経由で聞いた。この日も開場の1時間前くらいに到着したのだったが、そこから探した。あちこちを走り回った。わらにもすがる思いで、お店の人にも聞いてみた。だが、この日も再会はできなかった。
ボクは2年間の留学生活を経て、東京に戻ってきた。でも、キミがいないこの街は、どこかが違う。そんな空虚感を味わいながら生活をしていたが、ようやくキミが帰ってくるという話を、昨日聞いた。直接連絡をくれればいいのに、なぜか新聞で読んだ。キミのことを考えると、ボクは高校生の頃とか、ジャズを聴きに走り回っていた頃の淡い気持ちを思い出す。何年もぶりに再び出会うキミは、今度はボクをどんな気持ちにさせてくれるのだろうか。
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20060902_yoshinoya/
(完)
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