さて、 幻冬舎新書から出版された「オバマのアメリカ」(渡辺将人著)は、大統領選という一大イベントと、オバマ当選という歴史的な事実の分析を通じて、現代アメリカを読み解く快著である。何ともタイムリーな本なのですっかりベストセラーになってるかと思いきや、まだ皆さんに発見されていないようなので、ここでご紹介を。
著者は1975年生まれなので自分と同年代だが、民主党の大統領選挙事務所で働いていたこともあり、驚くばかりの現場感を持って、今回の大統領選の舞台裏も解説している。
テレビで映る党大会の様子を見て、いつも驚きあきれるのがアメリカ人のお祭り好きな性質。候補者が出てくると、ずっとヒューヒュー歓声が飛ぶし、スピーチの途中でも、ちょっといいことを言うと、拍手と大歓声が止まらない。まるで大リーグの試合でも見ているようだ。日本の選挙イベントでここまで盛り上がることはないのでは?本書を読むと、これがメディアとともに作りあげられた「一大テレビショー」であることが分かる(やらせありあり)。わが国でも完全に「エンターテインメント」と割り切って、国民の大半が視聴したくなるような政治ショーを作ってもいいかも?
また、面白いことに、「無名の候補者をマスに向けて売り出す」という点においては政治もマーケティングだと思うのだが、本書は同時代的なウェブマーケティングへの示唆も富んでいる。「知らない人にいくら勧誘されるより、信頼している親友に一言、いいよと薦められた方が影響力がある」という指摘には納得する。候補者としての「物語性」が共感を呼ぶという指摘も、幼少のころに父親がいなくなったことや、エリート校を卒業していても、それは「編入」という米国では「努力の証」とみなされる経緯をたどっていることなどを読んで行くと、いま要求されるのは必ずしも「機能」(大統領でいえば経験と実績か)だけでなく、「共感」、すなわち、好きになりたくなる何か、自分を重ね合わせたくなる何かを持っているか否か、ということになる。スーパーで売ってる野菜も、「私が作りました」と農家の方の写真が一緒に掲載されているのと同じか。
最後に、本書を読むと、以下に米国という国がローカルな州とばらばらの信条を持った人たちの寄せ集め所帯か、ということが再認識できる。それに比べると相対的には、いかに我が社会は均質なことか。何かの争点について大きくもめることや、あるいはpro-life, for-life のような思想信条における対立軸があるようでないような。それぞれのよさがあると思うし、米国に住んでいると常に「戦い」モードでいなければならないので疲れるのですが、そういう均質的な国に求められる政治って、どういうものなのでしょうかね。急ぎ足なので駄文にて失礼。
オバマ氏の演説楽しみです。ところで、オバマ氏のChange!世界中の人がその言葉に注目しているのですが、日本の場合、どうも、自分は一切Changeせず、不都合な周りがChangeしてくれというように聞こえてしまいます。
自分たちを見つめなおしChangeしつつ、社会を変えていこうというように理解されればよいのですが。
これまでの慣習を否定し、やや乱暴にChange(変革)に走りすぎ、失敗という経験があります。
人にChangeを強いられるのは嫌なものです。私は、自分に対しては基軸を大切にしつつ、Changeしていきたいし、また周りChangeの意志をサボートできればいいなっと思っています。
投稿情報: 鵠沼海岸の中間管理職 | 2009年1 月20日 (火) 23:39