一橋大学の竹内弘高先生より、"Extreme Toyota"(邦題:「トヨタの知識創造経営」)をサイン入りで頂いた。トヨタのすごいところは、ある意味では、すでに分析されつくしているにも関わらず、彼らと同様のパフォーマンスを上げられる企業がほとんどない、ということではないか。すなわち、凄さの秘密は頭で理解したことを、すみずみまで実行させることだろう。
印象に残ったことが三つ。
まず、とにかく実験をしてみる、失敗を許容する、そしてできるまで試す、ということ。どの組織でもその重要性は分かっており、トップが言うのは簡単だが、広くそれが企業風土として浸透させるのは掛け声だけではうまくいかない:
"Experimentation requires a shared set of values among the employees revolving around decisive action, tolerance for failure, honesty, social duty, and persistence"
実験する企業風土は、従業員のあいだで、決定的な行動力、失敗を容認する気持ち、正直さ、社会的義務、そしてしつこさといったことについて、共通の価値観が醸成されていることを要する。
次に、本書のタイトル通り、まさに従業員を知識創造経営の「資産」とみなしていること。これも言い古されていることだが、製造業の彼らですらそうなのに、非製造業の会社のどれだけが、これほどまで明確に従業員を、「知を蓄積するもっとも重要な資産」と戦略的にみなし、長期雇用とトレーニングによって、それを実行に移すことができているだろうか:
"Letting go of people in a knowledge-driven industry drains the company of its means of production as well as the corporate memory accumulated over the years in the head and hand of the knowledge worker"
知識産業では、従業員を辞めさせてしまうことは、生産の術を手放していることだけでなく、年数を重ねて手と頭に蓄積された企業の知識を流出させてしまうことにほかならない。
そして最後に、会社があえて矛盾を誘発し、不均衡状態に自らを追いやり、健全な緊張感を、自らが変革するためのエンジンとして上手に活用していることである。あと、comfort zone から飛び出すことの大切さ。本書では何度となく、「不完全な生き物であり、それゆえ進化していく人間の生態を、同様に企業内に作りだしたのがトヨタである」といった趣旨の記述がある:
"The contradictions drive Toyota to a state of disequilibrium, propelling it away from its comfort zone and instilling healthy tension and instability within the organization"
(本書で示される)いくつもの矛盾がトヨタを不均衡状態に押しやり、快適な状態から離し、健全な緊張感と不安定さを組織内に植えつける。
この部分は、ジャズにも該当するかも。クラシックが完全和音であるのに対して、ジャズは常に不協和音、不均衡な音を使う。それは、どこかで「気持ち悪さ」があるのだが、その気持ち悪さが、次へ移動しようとされる、ダイナミックな感覚を、体内に覚えさせるのであり、それゆえに逆に音が気持ち感じさせられるのである。
以上を、「そんなの分かってるよ」と読み飛ばしてしまうか、そこに強烈な真理があり、かつそれを実践することがいかに難しいかを感じとり、それに全力で取り組もうとするか。幾多もの同業者がトヨタからその秘密を学ぼうとし、トヨタはそれを隠すことなく共有してきたが、誰も追いつくことはできない。そこにこそ秘密があるのであり、われわれは必死に学ぶべきポイントがあるのだろう。
>次へ移動しようとされる、ダイナミックな感覚を、体内に覚えさせるのであり
HONDAがASIMOを開発する際に苦労したとされる「動的歩行」(動的バランスだったかな?)を連想しました。記憶が不確かですが、次の一歩を踏み出すためには静的に均衡したバランスを前方へ意図的に崩す必要があるのだそうです。
自然科学を社会科学へ当てはめるには注意が必要なのでしょうが、トヨタの社風と似通った部分があるなぁ、とついつい考えてしまいます。
投稿情報: mini1 | 2008年7 月 9日 (水) 22:30