山口揚平さんとは時折お話したり飲みに行ったりする間柄なのだが、彼の文章が多くの人の心をつかむのは、三つの理由があるように思える:
① メッセージは極めてシンプルだが本質的で核心をついている
② それを、直感的に理解できる、身の回りのシンプルな事例に例えるのが天才的に上手い
③ ファイナンス・金融という本来は「冷たい」「無味乾燥」なものに、パッションと人間愛のようなものを思い入れを持っている
このたび、彼が書いた「生命保険は悲惨なギャンブル~ヤクザのばくち場は一番公平?」というエッセーが、ウェブ上で話題になっている(書かれた直後に、本ブログのコメント欄にもご本人から紹介の書き込みがありました)。それは、皆が何となく感じていた胡散臭さを、「賭博場」や「宝くじ」という誰しも理解できるアナロジーを用いて、スパッと切っているからである。
彼の文章の魅力がこのような直感・本質×表現力にあるとするならば、正論をかたぐるしいロジックを用いて反論してみても、まったく意味がない。また、実は彼は生命保険が悪いとか不要であると説いている訳ではなく、人生を豊かに生きるためのツールであるから、きちんと情報収集して比較検討して賢く買おうね、と思っている。ただそのメッセージを伝えるために、センセーショナルな話題のふり方をしているだけだ。
というわけで、彼の文章力にはとても適わないなぁと思いつつも、生命保険会社志望ということで、少しだけ自分なりに整理をしてみたい:
【生命保険は悲惨なギャンブルではない】
生命保険は、ファイナンス的にいえばプットオプションである(ただし、「死亡」や「入院」という条件付)。
ここでプットオプションとは、「資産価格がいくらになろうと、将来、前もって決めた価格で買い取ってもらう権利」である。
5千万円の死亡保険は、「将来ワタシが死亡して無価値になっても、5千万円を支払ってもらえる権利」であり、保険料はその権利を買うための対価(プレミアム)である。
プットオプションを買う人には、二つのタイプがある。
① 資産価値が必ず下がると確信して、それで利益を上げたいと考えている人
② 資産価値が予想外に下がってしまった場合に、損失を抑えたいと考えている人
生命保険についていえば、「人が死ぬことにギャンブルする」という①の目的で買う人は(保険金詐欺を除いて)いない。
加入の目的は、万が一の事故が起こったときのロスをいくばくか相殺する、という意味での②のタイプである。
実際には、大切な人が亡くなれば、保険金という名目のおカネが入ってきても、悲しみが癒されるわけではないし、失ったものを取り返せるわけではない。『経済的な損失』に限って、いくばくか相殺されるに過ぎない。
もし、本当にダメージを最小限に抑えたいならば、そもそも自分の死を悲しむ愛する人なんて作らない方がいいし、自分の存在がなくなって困る家族なんていない方がいい。事故に合う確率を高める一切の活動は控えた方がいいから、お金も一切使わずに困ったときのために貯めておいた方がいいのかも知れない。
それでも、私たちはそういう選択肢は選ばない。愛する人とともに生きたいし、家族は欲しい。お金は一切使わないで貯めるより、美味しい食べ物や、楽しい遊びに使って人生を豊かに生きたい。いつかは自分の身に万が一のことが起こるかも知れない。そんなことを知っていながらも、誰もそんな事態を想定したくない。
そこで、万が一のときに、まったく予想外の損失に対して無防備・丸腰であるのではなく、プットオプションを買っておいて、悲しい出来事の際にいくらかおカネが入るようにしておけば、損失は経済的な部分に限ってはコントロールすることができるのだ。
その意味で、生命保険は多くの人が安心して生活し、豊かな生き方を選ぶために重要な役割を果たすツールであると考えることができる。
次に、生命保険が成り立つためには「大数の法則」と呼ばれるよう、一定の規模が必要である(数万人?)。とすれば、生命保険というプットオプションが成立するためには、必然とマーケティングや運営のコストがかかるのである。
生命保険の手数料が5割というと高い!という印象を持つ人がいるかも知れないが、見方を変えて考えると、販売管理やオペレーション事務の費用割合が高い業態であれば、粗利が5割ということは決して珍しくはない。保険会社の肩を持つわけではないが、このような業態の特殊性を理解した上で、議論をする必要がある。
もっとも、生命保険が冷静に計算された金融商品である、そこでは「営業マンが信頼できる」とか「なんとなく安心できる」という曖昧な判断基準で選んではいけない。中核に据えるべきは、「払いこんだ1円に対するバリューがもっとも大きい商品はどれか」ということを、徹底して追及することである。
この意味で、生命保険は家族愛や漠然とした安心を買うものではない。オプション市場で取引されているように、無味乾燥なオプション取引をやっていると考えて、選ぶべきものである。この点において、山口さんの最後の結論部分に同意。
なるほど
仰ることはもっともですが、癌にでもならない限り、生命保険なんて物は普通の人には不要の物だという事実が抜けてるんじゃないですかね?
一体幾らの公的な扶助が受けられるのか?
そう言うことを無視して、月何十万の医療費負担が掛かるかと言うことだけを取り上げた保険会社のレポートがある現状でそれを言いますか?
投稿情報: MERCY | 2007年5 月12日 (土) 07:10
山口さんの論説は、数年前に出版された橘玲氏の「得する生活(幻冬舎)」と重なる部分がいくつかあると思います。
あの本も、当時読者に「保険は金融商品である」という視点を明快に与えたインパクトあるものでした。
橘玲氏以降、金融の専門家がやわらかい論説で消費者を啓蒙する機会が増えたようですので、そういったリテラシのある読者なら、山口さんの意図は明確に読み取ってると思います。まだまだ多くはないのでしょうが。
ただいずれの氏も「では具体的にどこの何がいいのか」という商品選択まで進言はしていません。ネットライフ企画さんに集まる、これまでと次元の異なる期待とは「その具体的なものも示してほしい」ということですよね。
評論にとどまらず商品化というのは、前例のない大変な事業になるかと思いますが極めて消費者の受ける恩恵は大きいです。ぜひぜひ、叡智の結集でいいものができてほしいなと遠くより応援していますよ。
投稿情報: kei | 2007年5 月11日 (金) 02:42