金融・ネタよりも、グルメ・神保町ネタのほうが盛り上がってしまう、われらが生命保険立ち上げ日誌。アンテナの感度が下がっている筆者に問題もあろうが、そんなコミュニティを作ってくださっている皆さんが大好き。
さて、街を歩いていたら、白人のスーパーマリオとすれ違った。あれ、マリオってもともと白人?私のステレオタイプで言うならば、ラティーノだけど。あまりジロジロみると向こうの思うツボ、と悔しく思いつつも、やっぱりちらちら見てしまったら、嬉しそうにされた。悔しい。
後ろからぞろぞろ、明治神宮に向かう橋に座り込んでそうなファッションをした外国人が列をなして歩いてきた。そうか、今日はハロウィンか。普通の魔女みたいな恰好の人から、かなり現代的なコスプレの人まで、彩豊か。
留学中に感じたのは、米国人はコスプレパーティが好きだな、ということ。普通のハロウィンだけでなく、70年代っぽい格好をしてきなさいパーティとか、数か月に一度はあった。これに対して、日本ではこのようなパーティは(一部の愛好者の方々を除くと)あまりない。
なぜ、彼らはコスプレが好きなのか、仮説を立ててみた。思うに、米国人は常に「素の自分」であり、「別の人格を演じる」ということがない。日本であれば、店員である間の自分は、日常の自分とは異なる人格となる。話し声まで違う。銀行の窓口でスタバのコーヒーを飲みながら接客されたら、違和感があるだろう。
これに対して、米国では接客も、一人の個人として、自然体でやっているように思える。とするならば、彼らには仮面をかぶって素の自分とは異なる人格になるという場面が、通常はないのではないか?だからこそ、ことさらに違う自分になれるような場をパーティに求めているのではないか?
そんなことを考えながら、すっかり肌寒くなった夜の街を歩いて帰ってきました。
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