留学中にもっとも印象に残った教官が、ブラック・ショールズ方程式の数学的証明でノーベル経済学賞を受賞したロバート・C・マートン教授。彼のファイナンス講義では数式はまったく使われず、次のように繰り返し述べていた:
「ファイナンスのテクニックは、時代とともに移ろいゆく。僕が君らに教えたいのは、時代が変わっても変わらずに使える、robust (堅牢) な考え方のフレームワークだ」
ここで、「堅牢なフレームワーク」とは、議論している題材が多岐にわたっても、同じロジックで問題を説明し、解決できるようなものをいう。 確かに、マートン教授に教わったファイナンスは、「骨太なファイナンス理論」だったように思う。
前置きが長くなったが、週末に読んだ「戦後日本経済史」(野口悠紀雄著、新潮選書)で野口教授が唱える「戦時経済体制が日本の経済構造を規定してきた」という考え方は、戦後の高度成長から石油ショックへの対応、バブルの発生から崩壊、金融危機とその後の低迷まで、多くのことをすっきり説明できる、まさにrobustなフレームワークだと思った。
その中核となったのが、金融統制と間接金融方式。戦時中に軍需産業に資金を集中させるために取られた体制が、財政投融資とともに戦後の重化学産業を中心とした企業への資金供給を行う「高度成長のエンジン」となり、国際金融市場環境が変化した後もなお、伝統的な商業銀行を強引に生き残らせようとしたことでバブルが発生し、崩壊し、その後の経済低迷を招いた。そして、メガバンクが誕生したのちも、本質的にはそれは変わっていない。
本書では直接触れられていないが、生命保険業界も本書で記されている戦後日本経済の象徴そのものであると思った。高度成長経済下で国民から資金を吸収し、長信銀と並んで産業へ長期資金を提供する役割を担ってきた。外部株主からのチェックを受けることなく、経営者が従業員の利益代表として、経営をしてきた。もっとも弱い金融機関が存続できるように敷かれた行政のもとでは、超過利潤はより高品質なサービスのために再投資されることなく、主に内部に留保された。
歴史を知らなければ、現在の世界を正しく理解することはできない。それが「戦後経済史」という身近な歴史であり、なお生き続けるものであれば、なおさらである。1940年から今なお続く、わが国の構造を決定づけるこの「戦時経済体制」を自分のものとして理解できるよう、何度も何度も本書を読み返したいと考えている。
私は「堅牢な理論」と野口教授の著作を結びつけることには反対です。
堅牢な理論とは、決して「多くのことをすっきり説明できる」ものではなく、「きちんと考えて証拠に照らして考える」という姿勢・マインドから出てくるものだと思います。
むしろ、「わかったつもりにさせる大きな見方」にこそ、多くの人を「通念」「ドグマ」に囚われさせてしまう危険性があるように思います(以上につき、三輪芳朗=マーク・ラムザイヤー『経済学の使い方』(2007年、日本評論社)参照)。
財政投融資の定義は何か。
重化学産業の資金調達において著者がいう「財政投融資」が占めた比率はどれくらいのものか。
日本の経済構造を規定したというが、「日本の経済構造」とはどのように定義できるのか。
メインバンク制、系列、金利・資金配分規制、資金配分政策などをもって日本の経済構造の特徴とする「日本経済論」が通説化しているが、それらは全て明確に定義されているか。それらの主張を裏付ける証拠はあるか。
(以上につき、三輪芳朗=Mラムザイヤー『日本経済論の誤解-「系列」の呪縛からの解放』(2001年、東洋経済新報社)。
分かりやすい「フレームワーク」を疑ってかかることが大切だと私は思います。
投稿情報: うーんと | 2008年3 月26日 (水) 00:58
「戦時経済体制が日本の経済構造を規定してきた」というのは本当に感じることがあります。
某T大学の授業でも昨年やりましたが、
戦前の日本はGDP比でいうと、アメリカ以上に株式市場・直接金融が発達していたようです。(なので当然株主の権利だとか、経営者の株主に対する意識も今とは違っていたらしいです)
一方で現在は、、、というのも、金融統制と間接金融方式の結果なので、歴史の必然なのかもしれませんね。
次のフレームワークの変化は、いつなのでしょうね。
投稿情報: kazuneko | 2008年3 月25日 (火) 01:12