僕はサンダルがまぁまぁ好きだ。好きといっても、5足も10足も持っているというわけではなく、1、2足を何かと好んで履きたくなる、という程度だが、まあこうやってブログの小ネタにできるくらいには、好きだ。社内ではいつも、アス○ルで注文した茶色い500円くらいのサンダルを履いて歩き回っている(同僚のTには「お隣の慶応病院から持って来たの?」とからかわれる)。悔しいので、週末は、もっとかっこいい、赤いイタリア製のものを履いている。そして、今回のような南国での休暇ともなれば、もちろんサンダル履きで外出している。
サンダルを履いたからといって、歩きやすいわけではない。足の後部が固定されていない分、パタパタして、むしろ歩きにくい。それでも好んで履きたくなるのは、足の周りが、ひいては自分の歩みが自由であるという感覚を楽しみたいという気持ちがあるようだ。Tシャツや半ズボンのような身軽な装いを好むのは、物理的・機能的な側面だけでなく、その開放感を愉しみたいという精神的な安堵感が影響しているように思える。
そんなサンダルだが、痛い目に合ったことがある。忘れもしない、2001年9月10日。ニューヨークを訪れていた僕は、まだ残暑が残るマンハッタンの夜を愉しもうと、仲間とともに今は亡きワールドトレードセンター(WTC)107階の高層レストラン、"Windows on the World" を訪れた。ビルの入り口で心地よい夜風を浴びながら、100万ドルの夜景を満喫せんと、胸は高まる。エレベーター乗り場に向かう通路を歩き始めた。
そのとき、悲劇が起こった。
「お客様、申し訳ありませんが、当店ではサンダル履きのお客様のご入店は・・・」
ガーーーン。それって、俺じゃん。
落胆する仲間たちの非難の視線を痛く感じながら、明るくふるまって、近くのバーへ皆を誘導しなければならなかったときの、つらさたるや。また、皆で来ようよ。次があるさ。がっかりする皆を励まそうとしながら、はじめて困難の状況からチームの士気を立て直そうとするリーダーの役割の難しさを体感した。
しかし、ご存知のように、その翌日、WTCはテロに倒れた。我々は永遠に、107階のバーにてマンハッタンを見下ろしながら、杯を交わす機会を失ったのである。言うまでも無く、そのとき一緒にいた友人には、未だにそれをネタにされる。
あれから、6年間。時は瞬く間に流れていった。2年間の米国東海岸への留学生活を経て、かの地のお洒落なバー/ラウンジで飲むときのプロトコルは多少なりとも心得、同時に僕のリーダーとしての資質はいくばくか高まった。
そして、昨夜。妻への日ごろの感謝の気持ちをこめて、寝たあとの子供の世話を両親に頼み、車に乗って当地の名所、Lebua at State Tower に向かった。ここは65階の高さにバルコニーのようなレストランがあり、バンコクの夜景を見下ろしながら、お酒を呑めるお店。
結婚をして、子供ができると、夫婦のリレーションシップは大きく変化する。「子育て」という共同作業を通じて連帯感が芽生えると同時に、「父」「母」としての役割を演じるようになり、いつしか一人の男と女であることを忘れてしまう。
今夜ばかりは、久しぶりに、まだ恋人だったあの頃に戻ろう。そう、6年前のあの夜も、君は一緒だった。あのときの、罪滅ぼしも兼ねて。
ビルの前に到着すると、車を飛び降りて、ドアを開いてエスコート。腕を組みながら、入り口から奥のエレベーターホールへ向かう。Lebuaの入り口だけは、まるでクラブの入り口のようにカーテンがかかっており、ここから別世界。入ろうとすると、お客を向かいいれる、艶っぽいドレスを纏ったお姉さんに呼び止められた。
「お客様、申し訳ありませんが、当店ではサンダル履きのお客様のご入店は・・・」
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