「音楽とは、音という形のないものを、人間が厳格な規律のもとに統制したものである」。
そんな趣旨のことを、三島がエッセイで書いていた。彼はきっと、楽譜にぴっちり音符が書き込まれたクラシックの楽曲のようなものをイメージしていたのだろう。確かに我々が知る音楽なるものは、この世に無限の種類のピッチや形態をもって存在する「音」に整然とした秩序を与え、いわば飼いならしてしまったものであり、そう考えるとなんかすごいし、窮屈にすら思えるかも知れない。
ここで、ワタシが愛してやまないジャズに想いをめぐらせる。まことに「クラシカル」なクラシック音楽を一つの対極に、そしてまるっきり自由な音の集まり(いくつもの楽器による即興演奏をイメージ)をもう一つの対極においたとすると、ジャズはそのちょうど中間地点に来る。それは自由な即興演奏でありながら、決めれらた枠のなかにのみ存在しうる自由だ。
次に、これらを会社に例えると、がちがちのクラシック楽曲は官僚的な大企業であり、自由な音の集まりは無秩序なベンチャー企業。こうやって考えると、なぜ自分がジャズが好きなのか、そしてこれまで選んできた職場が好きだったのか、理由が分かってきた。僕が一番comfortableに感じるのは、ある程度の秩序や職人芸的なワザが要求されながら、他方で自由や創造性を活かせる職場であり、この点でやってきた仕事は音楽に例えるならジャズに当たるかもしれない、そう気がついたからだ。
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